重機を愛し、重機に愛された車解体のプロが目指すもの

〜MY ROOTS 〜あなたの人生を深掘りさせて下さい〜
誰にでもある、過去から今に至るまでの物語。
「人」にフォーカスし、人生のROOTSを探ることで見えてくるその人の考え方や生き方は
誰かの生きる糧にもなるはず。
「長崎の人」のROOTSを一緒に探しましょう。

MY ROOTS 第4弾の 「人」 はこの方です。

中竹誠治さん

中竹誠治(なかたけせいじ)さん
株式会社吉川金属商事
長崎リソースファクトリー
ニブラチーム チームリーダー
長崎県大村市出身
4人兄弟の末っ子として生まれる。長崎県内の造園建設業の会社に12年務めたのち、吉川金属商事に転職。今年入社19年目で主に重機を扱う部署のチームリーダーを務める。

株式会社吉川金属商事(長崎県諫早市)

「長崎リパーツ」(自動車リサイクル業)
自動車リサイクルの仕事は、環境への思いやりと技術の融合が生み出す魅力的な仕事です。
使用済みのクルマから新しい価値を生み出し、地球にやさしい未来を築く仕事。持続可能な社会に向けた挑戦に立ち向かい、自分達の仕事が世界を変える原動力になる。
これが自動車リサイクルの仕事の本質です。私達はこの仕事に誇りを持っています。

【吉川金属商事の経営理念】
資源循環を通じ、地球環境・地域社会の発展に貢献し、お客様ならびに社員の幸福を増進する。


橋本

中竹さん、本日は宜しくお願いします。

中竹さん

宜しくお願いします。

橋本

中竹さんのご家族の構成を教えて下さい。

中竹さん

父、母、兄が2人と姉が1人います。

橋本

ご兄弟の仲は良かったですか? 

中竹さん

兄弟とは仲が良かったです。末っ子だったので可愛がってもらいました。喧嘩はほとんどした事がないですね。

橋本

ご両親はどんな人ですか?

中竹さん

父も母も優しかったです。口うるさくなく、自由にさせてくれましたね。今、思えば責任は自分で取りなさいという教育方針だったと思います。

橋本

そんな優しいご家族の中で育った中竹さんの幼少期を教えて下さい。

中竹さん

一言で言えば元気な子供でした。周りからはよく喋る子と言われました。

橋本

友達と何をして遊んでいたんですか?

中竹さん

友達とはよく公園で野球をしていました。あとはエアガンで戦っていましたね。時代を感じますね・・・。

橋本

野球はチームに所属しなかったんですか?

中竹さん

野球は遊びでやるぐらいでした。小学4年生の時にクラブ活動で卓球を始めました。それから高校まで卓球は続けました。

橋本

高校まで続けていたのなら、卓球は強かったのではないですか?

中竹さん

いや。強くなかったですね。練習は真面目にしていたつもりだったんですけどね。結果に繋がらなかったです。

橋本

他の部活やスポーツに興味はなかったんですか?

中竹さん

興味がなかったわけではないですが卓球をやめる気もなかったですね。

橋本

中竹さんは学校の仲間の中でどんなポジションでしたか?リーダー的存在でしたか?

中竹さん

リーダーがいて、その横でちょっかいを出す補助役ですかね。

橋本

中学生になって反抗期などはなかったですか?

中竹さん

反抗期はなかったです。毎週末、母親と一緒に買い物に行っていました。親に反抗した記憶もないです。

橋本

お母様と仲がいいですね。中竹さんは素直なお子さんだったんですね。ちなみに勉強の方はどうだったんですか?

中竹さん

・・・苦手でしたね。

漠然と「手に職を持ちたい」という想いが造園科の道を選択

橋本

中学生の頃に中竹さんは将来にどんなビジョンを持っていましたか?

中竹さん

明確になりたいものはなかったですが、漠然と手に職をつけたいと思っていました。

橋本

手に職をつけたいと思ったのは何かきっかけがあったんですか?

中竹さん

記憶が定かではないですが、一番上兄のアドバイスを聞いて漠然と手に職をつけた方がいいと思っていた気がします。

橋本

高校はどこに行かれたんですか?

中竹さん

手に職をつけようと思っていたので高校は工業系か農業系を考えました。色々調べて大村にある城南高等学校に行きました。当時は造園科があったので造園の道を選びました。

橋本

造園科があったんですか。珍しいですね。高校ではどんなことを学んだのですか?

中竹さん

庭造りのことや剪定方法のことなど幅広く学べました。

橋本

学校に練習できる庭のようなスペースがあるんですか?

中竹さん

学校内に庭園のようなものがありました。

橋本

もともと造園業に興味があったんですか?

中竹さん

どうしても造園科に行きたいという感じではなく、なんとなく選びました。

橋本

実際に造園科に入って楽しかったですか?

中竹さん

楽しかったですね。当時、実家が造園業の同級生がいたので彼の影響もあって造園業に嫌なイメージはなかったです。

橋本

当時、造園科に入学してきた生徒数は多かったんですか?

中竹さん

1クラスだけでしたが40名ほどいましたね。全員男子でした・・・。

橋本

高校生活で造園を学んだので、将来はその道に進むと決意したんですか?

中竹さん

造園業に就職しようと思っていました。周りの友人は別の道を選択する人もいました。私は地元の造園業に入ろうと思っていました。

地元、長崎の造園建設会社へ就職。社会人としての厳しい道を歩み出す。

橋本

就職先として県外は考えなかったのですか?

中竹さん

県外への就職は全く考えなかったです。長崎で働こうと思っていました。実家からも通えるので県外に出る選択はなかったですね。

橋本

一人暮らしや都会への憧れはなかったですか?

中竹さん

周りの友人は県外に行く人もいましたが、私は都会や一人暮らしに憧れはなかったです。

橋本

実際に地元の造園会社に就職してどうでしたか?

中竹さん

現実は厳しかったですね。一つ一つの道具の名称もわからなくて覚えることが多かったです。当時は「見て覚えろ」というのが当たり前だったので、専属の教育担当者もおらず現場で必死に仕事を見て覚えていましたね。

橋本

中竹さんは造園科出身なので学校で学んだことも役に立ったではないですか?

中竹さん

役に立つこともありましたが、学校では学んでいないことも沢山ありました。技術の面だけでなくお客様への対応などは日頃から先輩に緊張感を持つようにと言われていました。

橋本

お客様は個人の方ですか?

中竹さん

個人のお客様だけでなく、官公庁のお仕事もありました。道路沿いの街路樹などの業務などもありました。

橋本

中央分離帯の植木の調整をされている方などを見たことがあります。車が真横を通る時は恐くないですか?

中竹さん

恐かったです。それに夏の作業はとても暑かったです。現場によっては朝が早かったり遅くまで仕事したりと大変でしたね。

橋本

造園業を辞めようとは思わなかったのですか?

中竹さん

辞めようとは思わなかったです。先輩たちに色々と言われたくなかったので誰にも負けないように早く仕事を覚えようと必死にやっていました。先輩たちからも可愛がって頂いたと思います。

橋本

造園業でやりがいは何でしたか?

中竹さん

現場が完成した時の達成感です。綺麗になった現場を見る度にやりがいを感じました。

重機との出会い

橋本

現在の仕事にも繋がる重機との出会いは、造園業の時だったんですか?

中竹さん

そうです。当時は早く免許を取りたかったです。免許を取るとできる仕事の幅も広がるし、重機を運転することが何よりも楽しかったです。

橋本

最初から重機の運転は上手でしたか?

中竹さん

運転は好きだったので向いていたと思います。人に負けたくなかったので一生懸命に技術も磨きました。

橋本

仕事を教えてくれた師匠のような人はいましたか?

中竹さん

いました。
年齢は私より10歳上の先輩です。仕事も幅広く何でも出来て、重機の運転技術もすごい人でいつもその先輩にべったり付いて仕事を学んでいました。師匠というよりは兄貴のような存在です。今でもお会いする関係です。

母との別れ。転職を決意した30歳。

橋本

何故、12年間も勤めた造園の会社を辞めて転職をしようと思ったんですか?

中竹さん

30歳の時に転職を決めました。29歳の時に家を建てたばっかりで30歳の時に母が他界したことが転職を考える大きなきっかけになりました。

橋本

29歳から30歳が色々なことが重なったタイミングだったんですね。長く勤めた会社を辞めて転職することへの不安はなかったですか?

中竹さん

家族もいましたし、家も建てたばっかりだったので不安はありました。

橋本

その時はどんな仕事を探していたんですか?

中竹さん

重機を扱える仕事は頭にありました。その時に吉川金属商事が解体とリサイクルという事業をやっていることを知ったので興味を持ちました。ここなら重機に乗って仕事ができると思いました。

橋本

吉川金属商事はどなたかのご紹介で知ったんですか?

中竹さん

自分で見つけました。面接は現在の吉川会長でした。
ちなみにインタビューを受けているこの工場の長崎リソースファクトリー(大村工場)は私が入社したタイミングで出来た工場なので私と同級生です

吉川金属商事へ転職。重機の操作技術の高さに驚き、苦戦する日々。

橋本

こちらの工場も出来て19年目なんですね。入社して会社にはすぐに馴染めましたか?

中竹さん

人間関係もすごくいい会社なのですぐに馴染めました。
入ってみると、入社前に思っていた会社のイメージが変わりました。最初は一般的な”解体屋”というイメージを会社に持っていたのですが、実際に作業を見学した時に車の小さな部品まで重機で細かく取っていて衝撃を受けました。ここまで細部に渡って車を解体し、更にリサイクルに繋げる事業なのだということを知って驚きました。

橋本

入社して一番苦労したことは何ですか?

中竹さん

重機の技術面ですね。入社してすぐの頃は重機の操作は自分には無理かもと思いました。造園でやっていた重機の操作とは全く別物でした。
重機の先が部品を挟めるようになっているのですが、手と足を使って操作し、細かい作業をするので技術を身につけるのに苦戦しました。
でも負けず嫌いな性格なので先輩に教えて頂きながら必死に技術を覚えました。それに当時は屋根もない中で雨に打たれながら作業をすることもあったので大変でした。今は工場の設備も整って作業が行いやすいです。

橋本

一人で作業を任せられるようになるまで、どれくらいの期間がかかるんですか?

中竹さん

人にもよりますが3年はかかると思います。

橋本

車を解体する重機は今、何台稼働しているんですか?

中竹さん

同時に3台の重機で作業を行っています。1日1台で25〜26台の車の解体を行なっています。

橋本

車であれば何でも解体できるんですか?例えばキャンピングカーなども大丈夫なんですか?

中竹さん

キャンピングカーでも何でも解体できます。軽自動車から高級車まで何でも解体しますよ。

橋本

解体した車は最終的にどうなるんですか?

中竹さん

私が担当する工程は最終の工程になるのですが車の銅やアルミなどを細かく分別して空っぽになった車をプレスして小さくなるんです。そしてプレスした車を鳥栖工場に送って、シュレッターで破砕して更に分別してリサイクルされます。

橋本

中竹さんの今のお仕事のやりがいや、楽しいことは何ですか?

中竹さん

重機を操作している時が楽しいですね。やりがいというより個人的なこだわりですが車のパーツをより細かく取りたいと思っています。絶対パーツを残したくないです。あと、同時に他の重機も一緒に作業をしているので他の人より正確に早く作業をしたいと思っています。負けたくないです。常に自分との闘いですね。

橋本

会社(吉川金属商事)の魅力を教えて頂けますか?

中竹さん

吉川会長始め、社員の皆さんも気さくな人が多いです。設備投資や福利厚生も入社当時と比べてガラッと変わりました。社員の働きやすい環境を考えてくれる会社だなといつも思っています。何千万もする機械を導入して頂いたり、今の環境に感謝です。

次世代に技術を受け継がせ、自分を超える人材を育てる。

橋本

最後に中竹さんの今後の目標を教えてください。

中竹さん

私を超えていく次世代のオペレーターの育成をしていきたいです。「もう中竹さんは必要ないですよ」と言われるぐらいの人材が出てきたら嬉しいですね。でも私、負けず嫌いなので越えられたらまた技術をアップして後輩を追い抜くかもしれません。笑

橋本

本日はお忙しい中、ありがとうございました。

中竹さん

ありがとうございました。


橋本のまとめ

中竹さんはとても優しい方で、インタビュー中もずっと笑顔で対応して頂きました。お話をお聞きしていると、内面にある自分に対して厳しい一面と、負けず嫌いな一面が見えて、見た目とのギャップを感じました。
また一つの事をコツコツと努力し続ける事ができる人で、精神的にも強い人だなと思いました。私と同世代の20代の若い人たちの中には同じ会社に長く勤めるというよりも、数年で仕事を変える人も多く、何か一つの事を極める前に次の仕事に移ってしまう人もいます。それも時代に合った考え方だとは思いますが、私は今回、中竹さんの話を聞いて、一つの事を極められるようになりたいと思いました。
中竹さんが重機のお話をする時はまるで少年のように楽しそうで、重機への愛が伝わってきました。
インタビュー後に中竹さんに工場を案内して頂き、実際に重機で車を解体している様子を見ました。車を解体する重機の音の迫力に驚きましたが、細かく部品を取り除き、車が最後は小さくプレスされていました。機会があれば多くの人に実際に見てほしいと思いました。これから中竹さんを超える人材が出てくるのも楽しみです。その際はまたインタビューをしたいと思います。

この記事を書いた人

MY ROOTS

『MY ROOTS』ではある人の人生を深掘りし、過去から現在までのストーリーをまとめています。
人の生き方や考え方が誰かの明日の生きる糧になってほしいと思っています。
長崎の魅力ある人たちをご紹介していきます。
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