ソフトボール少女が母となり、運転の楽しさを伝える教官へ

〜MY ROOTS 〜あなたの人生を深掘りさせて下さい〜
誰にでもある、過去から今に至るまでの物語。
「人」にフォーカスし、人生のROOTSを探ることで見えてくるその人の考え方や生き方は
誰かの生きる糧にもなるはず。
「長崎の人」のROOTSを一緒に探しましょう。

MY ROOTS 第5弾の 「人」 はこの方です。

岩﨑亜沙美さん

岩﨑亜沙美(いわさき あさみ)さん
公認 本原自動車学校・自動車教習所指導員
長崎県長崎市出身
父、母、弟の4人家族の長女として誕生。高校卒業後は歯科衛生士の専門学校へ。専門学校を中退し、アルバイト生活をする中、21歳で結婚、出産、そして離婚を経験。その後、シングルマザーとなり、本原自動車学校へ入社。入社後、教官の道へ。現在に至る。

本原自動車学校
本原自動車学校は、長崎市高尾町にある昭和38年創業の自動車学校です。 「免許がとれる・野菜もとれる」のキャッチフレーズのもと、普通自動車免許が取得できるだけでなく、地域の交通安全センターとしての役割も担っており高齢者講習や安全運転講習なども実施しています。
校内コースの緑地帯で無農薬野菜を栽培し、無料で生徒さんに提供する取り組みも行っています。


ソフトボールとの出会い。

橋本

岩﨑さん、今日は宜しくお願い致します。

岩﨑さん

宜しくお願い致します。

橋本

ご出身を教えてください。

岩﨑さん

長崎市の出身です。ヒガナガ(東長崎)です。

橋本

家族構成は?

岩﨑さん

父と母と歳が3つ下の弟がいます。

橋本

お父様とお母様はどんな方ですか?

岩﨑さん

両親ともアウトドア派だったので色々な所に連れて行ってくれました。
休みの日は家族みんなでお出かけしていたのでほとんど家にいなかったです。

橋本

ご両親は仲が良かったんですね。

岩﨑さん

仲は良かったですね。両親が喧嘩しているところを見た事がないです。

橋本

岩﨑さんは、小学生の頃はどんな子どもだったんですか?

岩﨑さん

小学5年生の時からソフトボールをやっていたので、活発なスポーツ少女だったと思います。

橋本

ソフトボールは何がきっかけで始めたんですか?

岩﨑さん

弟がソフトボールのチームに入っていて家族で応援に行ったり、練習を見に行ったりしていたので、私もやってみたいと思ったのがきっかけです。
父も昔、ソフトボールをしていたので弟と私がソフトボールを始めたことが嬉しかったみたいです。

橋本

岩﨑さんは弟さんと同じチームに入ったんですか?

岩﨑さん

そうです。当時、チームに25人ほどいましたが、女子は2人しかいませんでした。

橋本

男の子たちと一緒にプレーして、体力の差を感じなかったですか?

岩﨑さん

私は力が強かったので、そこまで男子と力の差を感じなかったです。打者としても、結構、成績は良かったと思います。ポジションはセカンド(内野)とライト(外野)をやっていて、試合にも出ていました。

橋本

運動神経が良かったんですね。

岩﨑さん

運動神経は人並みだったと思います。でも運動は好きでした。私より弟の方が運動神経は良かったですね。

中学時代。バレー部の謎のルール

橋本

中学校でもソフトボールを続けたんですか?

岩﨑さん

ソフトボールをしたかったのですが、部活がなかったのでバレーボール部に入部しました。でもすぐにバレー部は辞めました。

橋本

バレーは岩﨑さんに合わなかったんですか。

岩﨑さん

バレー部のルール(部の規則)が私に合わなくてすぐに辞めました。

橋本

ちなみにどんなルールだったんですか?

岩﨑さん

謎のルールがあったんです。今はわからないですが、当時は髪を留めるピンを付けてはいけないというルールがありました。練習中は危ないからという理由でしてはいけないのはわかるんですが、普段の学校生活でもピンはダメだったんです。謎だと思いませんか?

橋本

確かにそのルールは謎ですね。ピンぐらい良いと思うんですけど。

岩﨑さん

ある日、どうしても前髪が邪魔でピン留めしていた時にバレー部の先輩に見つかって呼び出されて注意をされたこともありました。

橋本

常に監視されていて怖いですね。

岩﨑さん

バレーは楽しかったんですが、そんなルールに納得がいかなくてバレー部を辞めました。

橋本

バレー部を辞めた後は、他の部活には所属しなかったんですか?

岩﨑さん

父が課外クラブの女子ソフトボールチームを見つけてきて見学に行きました。色々な中学校の女子達が集まっているチームでした。

橋本

お父様、よく見つけて来ましたね。そのチームは強かったんですか?

岩﨑さん

チームは強かったですね。大会では必ず決勝に行くチームでした。でも私が見学に行った時は人数が8名しかいなくて、たまたま行った日に試合があっていて人数が足りないから私も試合に出ることになりました。

橋本

そのままチームに加入することになったんですか?

岩﨑さん

そのままチームに入りました。チームは上下関係もなく、みんな友達のようなアットホームなチームだったのでとても楽しかったですね。バレー部みたいな謎ルールもなかったです!!

橋本

中学生時代は、ソフトボール以外に恋愛などには興味なかったんですか。

岩﨑さん

お付き合いしている方はいましたよ!

橋本

勝手に岩﨑さんはソフトボールが全てだと思っていたので、恋愛に興味はなかったのかと思っていました。

岩﨑さん

中学3年生の時にお付き合いしていました。部活も引退して時間もあったのでデートもしていました。中学1年・2年で出来なかったことを中学3年で取り返していたのかもしれません。

野球部の推し活に夢中な高校生時代。大分県まで応援に・・。

橋本

高校はどちらの学校に進学されるんですか?

岩﨑さん

最初は諫早商業に行きたかったんですが・・・。ダメだったんです。結果、長崎日大(長崎日本大学高等学校)に行くことになりました。

橋本

長崎日大はスポーツも強い学校ですよね。日大でも運動をしようと思っていたんですか?

岩﨑さん

スポーツはもうしませんでした。日大に入って特にこれをやりたいという目標もその時はなかったですね。制服は可愛いなと思っていました。

橋本

部活には入らなかったんですか?

岩﨑さん

部活はしなかったのですが、野球部の応援を本気でやっていました。

橋本

野球部の応援ですか!?マネージャーにはならなかったんですか。

岩﨑さん

日大の野球部は女子マネージャーは取らないんです。恐らく、今もそうだと思うんですけどね。

橋本

えっ!そうなんですか。だから外側からしか応援できないんですね。

岩﨑さん

応援にはすごく行きました。試合があるたびに会場まで行って応援に徹していました。遠方は大分まで行きましたね。完全プライベートです!

橋本

今で言う、「推し活」じゃないですか!?

岩﨑さん

まさしく推し活をしていました。

橋本

高校では運動をしたいという熱量は全く起きなかったんですか。

岩﨑さん

そうですね。野球部の応援に全ての熱量を注いでいました。でも学校のスポーツ大会などではスイッチが入って活躍してました。運動はそれぐらいですかね。

橋本

部活をしない放課後の時間は何をしていたんですか。

岩﨑さん

友達と遊んでいました。気づけば時間が過ぎている感じでした。

歯科衛生士の専門学校へ。しかし、中退。

橋本

高校卒業後はどんな選択をされたんですか?

岩﨑さん

歯科衛生士の専門学校に行こうと思っていました。

橋本

なぜ歯科衛生士になろうと思ったんですか。

岩﨑さん

歯科衛生士になりたかったわけではないんですが、高校の友達は色々な目標を持っていてすごいなと思っていました。でも実は私も小学校の時からなりたい職業があったんです。「犬の訓練士」です。

橋本

犬の訓練士ですか!かっこいいお仕事ですよね。その道は諦めたんですか。

岩﨑さん

中学生までは本気で目指していたんです。ただ、警察に入らないとなれないことを知ったんです。当時の私は学力的な理由で諦めました。そこからなりたいものがなくなったんですよね。だから歯科衛生士もどうしてもなりたい職業ではなかったんです。

橋本

そうだったんですね。結局、歯科衛生士の専門学校に行ったんですか?

岩﨑さん

母から「手に職をつけた方がいい」と言われていた事と、私が選んだ専門学校のパンフレットに「歯科衛生士の国家試験の合格率100%」と書いてあったのでその言葉に流されて入学しました。

橋本

合格率100%の専門学校は魅力的ですね!!実際に専門学校生活はどうでしたか。

岩﨑さん

専門学校は2年生の夏に辞めました。やはり本気でやりたいことではなかったので途中から実習が増えて嫌になって辞めてしまいましたね。

橋本

次に何かやりたいことはあったんですか。

岩﨑さん

その時は美容師に興味があったので美容専門学校の見学にも行きました。自分の髪の毛の色を変えるのが好きだったので美容師もいいなと思っていました。

橋本

そのまま美容師の専門学校に行ったんですか。

岩﨑さん

母から、歯科衛生士の学校を辞めたいから美容師になりたいと言っているだけでしょう?と言われて結局は美容師の道は辞めました。当時の私はそんなことはないと思っていたんですが、今考えると、歯科衛生士の学校を辞める理由が欲しかったのかもしれません。

橋本

結局、次に目指すものがない状態で専門学校を辞めたんですか。

岩﨑さん

そうですね。何をしたいと言う目標もなかったです。ただその時期に自動車学校に通い出していたのでバイトと自動車学校に時間を使っていました。

橋本

その時に本原自動車学校に通うんですね!

岩﨑さん

いや、違う自動車学校に通ってました。

橋本

本原自動車学校との接点はこのタイミングではないんですね。毎日バイトと自動車学校で忙しかったんですか。

岩﨑さん

そうですね。充実はしていました。あと私、中型のバイクと自動車の免許を同時に取りに行っていたので楽しかったですね。

橋本

中型のバイクも取ったんですか。

岩﨑さん

どちらかというとバイクの免許がほしくて自動車学校に通っていました。車がおまけのような感覚でした。父もバイクに乗っていたので影響を受けたんだと思います。

橋本

バイクに乗る女性はかっこいいですよね。憧れます。

岩﨑さん

自動車学校に入校する前から、父と一緒にバイク屋さんに行って免許を取ったら乗るバイクを決めていました。それを目標に自動車学校に通っていましたね。

ガソリンスタンドのバイト時代。結婚と出産・離婚を経験

橋本

ちなみにバイトは何をしていたんですか。

岩﨑さん

ファミレスのキッチンでバイトをしていました。ただ、専門学校を辞めて時間があったので1日中入れるバイトを探しました。
ある日、母と車で通りがかったガソリンスタンドで、バイト募集の張り紙を見つけたのでそのままの勢いで面接をお願いしに飛び込みました。

橋本

その勢いはすごいですね。面接はしてもらえたのですか。

岩﨑さん

店長さんがそのまま面接をしてくれました。履歴書もなかったんですが結果、採用して頂きました。

橋本

ガソリンスタンドでのバイトは大変そうなイメージですけど、岩﨑さんは続けられましたか?

岩﨑さん

私のバイト先のガソリンスタンドは待遇も良くて研修制度もしっかりしていたので、とてもいい環境でした。タイヤ交換やオイル交換も覚えましたね。女性でもできるのでそんなに大変なことはなかったです。

橋本

ガソリンスタンドでは何年ほどバイトしていたんですか。

岩﨑さん

トータル5年ぐらいだと思います。21歳の時に結婚をして出産をしたのでその時に1年ほど休んだ時期があります。

橋本

ご結婚とご出産を経験されたんですね。急な展開に驚きました。

岩﨑さん

でもすぐに離婚しました。だからまたガソリンスタンドに復帰しました。以前と同じ店舗ではなく同じ系列の店舗で働くことになりました。

橋本

離婚も経験されたんですね。シングルマザーになって大変だったんじゃないですか。

岩﨑さん

最初は大変でしたが、母や弟がいて助けてもらえる環境があったのでそこまで大変とは感じませんでした。

本原自動車学校へ入社。教官の道へ

橋本

ガソリンスタンドからどのようにして、本原自動車学校で働くことになったんですか。

岩﨑さん

やはり子供がいてずっとバイトだけでは厳しいなと思ったので、就職活動を始めました。その時に本原自動車学校の求人を見つけて面接を受けることになりました。実は本原自動車学校の存在をその時に初めて知ったんです・・・。

橋本

ちなみに教官の資格がなくても自動車学校で働けるんですか。

岩﨑さん

教官になるには、入社してから勉強をして試験を受けるんです。本原自動車学校では入社してずっと勉強をさせてもらいました。働くと言うより勉強の日々でした。

橋本

教官の試験は1発で合格したんですか?

岩﨑さん

私は2回目で受かりました・・・。暗記が苦手だったので。

橋本

最初に教官になって生徒を担当した時は緊張しませんでしたか。

岩﨑さん

すごく緊張しました。最初は恐かったですね。ちゃんとできるか不安でした。

橋本

慣れるまでやっぱり緊張しますよね。実際に教官になって、この仕事にはどんな魅力があると思いますか。

岩﨑さん

本原自動車学校は担当制なので一人の生徒さんを卒業まで担当するですが、やっぱり本免合格の報告を受けると嬉しいですね。わざわざ報告に来てくれるので、その時は一緒に喜んでます。

橋本

逆にこの仕事の難しさを教えて頂けますか。

岩﨑さん

運転がとても苦手な生徒さんもいるんです。その時にどのように指導してあげると伝わるのかと苦戦する時もあります。感覚的なことなので言葉で理解していても、なかなか上手くいかない生徒さんもいますね。

本原自動車学校の魅力とは?

橋本

本原自動車学校の魅力を教えて頂けますか。

岩﨑さん

よく生徒さんに「本原自動車学校の先生たちはみんな仲が良いですね」と言われるんです。実際に職場はアットホームな環境で働きやすいですね。この雰囲気が生徒さんにも伝わっているんだと思います。
あと、卒業生との繋がりも大事にしていますね。よく卒業生が訪ねて来て相談をしてくれたりしていますが、他の自動車学校にはないと思います。

橋本

最後に、岩﨑さんの今後の目標を教えてください

岩﨑さん

検定員になることです。仮免の検定試験や卒業検定などの試験を行う検定員です。また検定員の試験を受けないといけないので苦手な勉強をしないといけなんですけどね。あと5年以内には検定員になりたいと思います。

橋本

岩﨑さん、インタビューありがとうございました。

岩﨑さん

ありがとうございました。

橋本まとめ
岩﨑さんはやりたいことが見つかると勢いそのままにチャレンジができる人だなと感じました。
高校時代は野球部への熱量がとても高く、応援に対する本気度が伝わって来ました。私も同じぐらいハマれるものが欲しいなと思いました。
岩﨑さんはとても明るい方で何でも楽しいに変えれる魅力的な人です。きっと自動車学校でも生徒さんに人気のある先生なのでしょう。私も岩﨑さんのような先生だったら楽しく自動車学校に通えたかもしれません。
自動車学校の教官という職業と本原自動車学校の魅力が、岩﨑さんから溢れるように伝わってきました。これから自動車の免許を取る方は是非、本原自動車学校も検討してみてください!!

この記事を書いた人

MY ROOTS

『MY ROOTS』ではある人の人生を深掘りし、過去から現在までのストーリーをまとめています。
人の生き方や考え方が誰かの明日の生きる糧になってほしいと思っています。
長崎の魅力ある人たちをご紹介していきます。
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